はじめに
自由な時代になったなぁ
――ん?自由って、なんやったっけ?
昔の日本ってな、ほんま雑やった。
親の世代とかみてたら、ほんまに思う。
猫も杓子も、ぶっさいくも、金ない甲斐性なしも、性格終わってるやつも、
「はいはい、とりあえず結婚しとこか」
で、強引に人生の次ステージに放り込まれてた。
本人の意思?
そんなもん、味噌汁の具くらいの扱いや。
でもな、不思議なもんで、
その雑さが人を孤独から救ってた部分も、確実にあった。

今の時代はどうや?
自由や。
個人の尊重や。
無理な結婚は悪や。
合わん人と一緒におるくらいなら、一人のほうがええ。
……正論や。
ぐうの音も出んほど、正しい。
正しいんやけどな。
正しさの副作用
正しさが積み上がりすぎて、
気づいたらどうなっとるか言うたら、
- 独り
- こじらせ
- 理想だけ一人前
- 妥協は悪という宗教
こんな人間が量産されとる。
ワイもその一人や。
胸張って言えるで。
こじらせ中年日本代表選手や。

「合う相手がおらん」
「合わん人間と一緒におってもストレスなだけ」
これ、よう聞くやろ。
でもな、ちょっと意地悪な見方するとやで、
「自分にとって都合のええ人間がおらん」
って言うてるだけちゃうか、これ。
「合う相手」幻想
合う相手って、なんやろな。
- 自分を否定せん
- 機嫌を損ねん
- 理解してくれる
- でも干渉しすぎへん
- 収入や家事や将来の不安は魔法みたいに解決
……それ、もう人間ちゃう。
精霊か、AIか、もしくは異世界転生枠や。
昔の結婚はな、
「合うかどうか」やなくて
「逃げられへんから、慣れる」
が前提やった。
今やったら即炎上案件やけど、
あの慣れの強制力が、人を社会に縛り付けとったんも事実や。
自由は、弱い人間に厳しい
自由は
強い人間には最高のご褒美
弱い人間には地味な拷問


- 選んだ責任は全部自分
- 失敗しても誰も悪くない
- 孤独でも「自己選択」扱い
これ、地味にくるで。
昔はな、
「結婚して不幸でも、社会のせいや」
って逃げ道があった。
今はちゃう。
独りで苦しい?
それ、選んだの自分やん
はい、論破。
心がポキッといく音がする。

ぐぅのねも出ぇへん
そして出てくる、禁断の願い
そんで、ある日ふと思うわけや。
「だれか、ワイにとって都合のええ娘っこ、
あてがってくれへんやろか…」
出た。
自由主義の最終形態。
自分は一切変わらんけど、
人生がちょっと楽になる存在だけ欲しい。
めちゃくちゃや。
でもな、正直や。
ワイはこの正直さ、嫌いやない。
こじらせ独身が増えた理由(観察)
ちょっと観察するとやで、
- 社会は個人主義を推奨
- でも孤独耐性は育ててない
- 依存は悪、甘えも悪
- でも心は一人じゃ持たん
この矛盾の中で、
人間がうまくやれるわけないやろ、って話や。
昔は「雑な結婚」で矛盾を誤魔化してた。
今は「自由」で直視させられとる。
どっちが幸せか?
知らん。
結論らしきもの(オチ)
昔の日本は、不器用やけど集団で生き延びる社会。
今の日本は、洗練されとるけど個人に丸投げの社会。
ワイは今の自由、嫌いやない。
でもな、
自由を扱えるほど、
ワイは立派な人間やなかった
これが一番しんどい真実や。
今日も
「都合のええ娘っこ」を妄想しながら、
もやし一袋分の脳みそを回して生きとる。
まぁそれでも、生きとるだけマシやろ。
たぶん。








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