はじめに
「CoCo壱のカレーが2000円で高すぎる!」
──と話題になっとるらしい。
……話にならなん。
そもそもワイ、CoCo壱どころか外食という文化圏に住んでへん。

外食に行くとしても、
牛丼屋で「並」一択。
トッピング? するわけないやろ。
代わりに紅生姜をアホほど盛る。
あれは無料やなくて、ワイら貧困層への生活保護みたいなもんや。
王将もそうや。
「安い」「庶民の味方」言われとるチェーンですら、
気づいたら”貧乏人が“勇気を出さな入られへん店”になっとる。
昔はな、
「今日はちょっと贅沢して王将や!」やったのが、
今は
「今日は人生を賭けて王将や…」
や。

みんなが本当に嘆いとる理由
今回のみんなの怒りポイントは、
「2000円が高いかどうか」やない。
これが一時的やないやろ、って空気や。
卵、肉、米、ガソリン、電気、ガス、
気がついたら値上げ界のオールスターや。
しかも誰も
「そのうち下がりますよ」
とは言わへん。
全員、目をそらしながら
「まあ…まだ上がるやろな」
って薄々分かっとる。
これが怖いねん。
さらに嘆かわしいのが、このセリフ
「しょうがないよ。食材費も人件費も上がってるし」
このセリフを言う人、だいたい中間層以上や。
もちろん理屈としては正しい。
せやけどな、
それを言われた瞬間、
ワイらの財布は議論から排除される。
日本人にはもう一種類おる。
👉 強がる貧乏人
「いや、2000円くらい別に高ないやろ」
「文句言うほどでもない」
……お前、昨日コンビニで値段見て
棚に戻したやろ。
これは日本特有の病気やと思う。
自分が苦しいことを認めたら負け
みたいな謎の精神論。
なぜ人は「高すぎる」「高くない」を主張したがるのか
ここが今回いちばんおもろいとこや。
① 「自分の立ち位置確認ゲーム」
「高すぎる!」と言う人
→ ワイはもう庶民側やで という自己申告
「それほど高くないよ」と言う人
→ まだこっち側におるで という階級アピール
値段の話をしとるようで、
実は自分の社会ランクを叫んどるだけや。
② 「貧乏の可視化が怖い」
「高い」と言う=
「自分にはキツい」と認めることになる。
日本ではこれが恥やと思われがちやから、
ギリギリでも
「別に普通やん」
って言う。
結果、
多くの人が苦しい思てるのに、苦しいとは認めへん国
が完成する。
③ インフレを個人の感覚の問題にすり替えたい
「高い」「高くない」で揉めさせとけば、
構造の話(賃金・税・物価・政策)に行かんで済む。
これはもう
価格論争に見せかけた現実逃避バトルや。
突飛なアイデア:未来の外食
このまま行ったらどうなるか。
・CoCo壱
→「香りを楽しむカレー(白米のみ・ルーは別売・香り袋付き・店内に美味しそうなカレー映像が流れます)」1000円
・牛丼屋
→白米+具+汁は完全別売り(汁だくセット1200円)
・紅生姜
→ 有料化
→「紅生姜サブスク 月980円で取り放題」
ワイらは最終的に
空腹を回避するゲームをしとるだけになる。
さいごに(自虐)
ワイはこれからも
牛丼「並」
紅生姜山盛り
水はセルフ
これで生き延びる。
CoCo壱2000円?
ほんまに怖いのは値段やない。
「慣れてまうこと」や。
中間層以上がそうなったら、ワイら貧民層は何も言えん。
ほなまた。
次は「紅生姜が有料になった日」について書くかもしれん。








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