昼間に外へ出る。
それだけのことやのに、なぜか心拍数が上がる。
スーツ姿でもない。作業着でもない。
ええ年した中年。
目的地も曖昧。
色々劣等感まみれ。
この状態で玄関を出ると、
「悪い風に見られてる気」が急に現実味を帯びてくる。
実際こないな中年、誰も気にしてないとは思うが…
気持ちの正体
まず気になるのは、実際の視線やない。
「見られているかもしれない自分を、先に想像してしまう癖」や。
- 平日の昼間に歩いている
- 年齢は中年
- 服装はヨレヨレ
- 肩書きがない
この条件がそろうと、
頭の中で勝手に「説明責任」が発生する。
誰も聞いてへんのに、
誰も気にしてへんのに、
自分だけが勝手に取り調べを始めてる状態。
近所の人の視線についての仮説
観察してて思うのはこれ。
- 近所の人は基本、他人に興味がない(暇な爺さん、婆さんは別やけど)。
- たとえ見ても、3秒で忘れる
- 覚えてるのは「自分が気まずかった記憶」だけ
つまり、
他人の視線は一瞬、自己意識は長期保存。
このズレが、外出を重くしてる。
心持ちの切り替え
外出時に持つべき心持ちは、これやと思う。
今日は社会的に評価される日ではない
誰も自分の事なんか気にしてない(特にポンコツ中年)
気まずさを否定しない → 「今、気まずいな」と心の中で言語化する
評価される前提で外へ出るから、しんどくなる。
昼間に歩いてる中年は、
ただ歩いてるだけでええ。
誰にも説明せんでええし、
納得してもらう必要もない。

ヒマタロウ
「ワイはどうしようもないポンコツや!
けどな、誰にも迷惑はかけてない。外歩いて何が悪いんじゃ!」
と思って、外出るようにしとったけど、近所のオバハンいわく険しい表情やったらしいわ。自然体を心掛けなあかんな。
観察してわかったこと
- 近所の目は想像の産物
- 本当に厄介なのは自分の中の監視員
- 外出は「勝ち負け」やない
- 気まずさは失敗ではない
ポンコツ中年が昼に外へ出る。
それだけで、今日は十分イベントが起きている。
帰ってきたら、
「外に出た」という事実だけを記録して、
あとはもうええ。








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