人間はどこまで他の生き物を利用してええんやろか?

動物倫理を真面目に考えると、まぁ途中で思考が止まる。

なんでや?

答えはシンプル。

今の社会は「利用前提」でしか設計されてへんから。
今日はその構造を、少し冷静に分解してみる。

ヒマタロウ
ヒマタロウ

「そんなことない!家族やパートナーとして接してる人もいっぱいいるよ!」
ってな人もおるかもしれん。けどまぁ読んでみてや。


まず整理:「利用」とはなんや?

現代社会における動物利用は、だいたいざっくり6方向に広がっとる。

① 食

  • 栄養(生存)
  • 味(嗜好)
  • 文化(祭り・郷土料理) etc

② 医療・科学

  • 動物実験
  • ワクチン開発
  • 安全性試験 etc

③ 愛玩・鑑賞

  • ペット
  • 動物園
  • 水族館 etc

④ 労働

  • 盲導犬
  • 警察犬
  • 荷物運び
  • 歴史的な農耕利用 etc

⑤ 娯楽

  • 競馬
  • 闘牛
  • サーカス
  • 釣り etc

⑥ 産業副産物

  • 毛皮
  • 化粧品原料

つまり――

ほぼ全方向で利用されとるわけで、

だから考え始めると、こうなる。

人間の生活から切り離すことは無理や!

これは怠惰ちゃう。
構造の問題や。


動物倫理の3つの立場

思想的には、大きく3つに分かれる。

1)人間中心主義

人間の利益が最優先。
動物は「資源」。

(今の社会の主流)

2)動物福祉主義

利用はOK。
でも苦痛は減らそう。

(アニマルウェルフェアとか)

3)動物解放主義

利用そのものが問題。
命を手段にしてはいけない。

(ヴィーガン思想の根幹)


なぜ「限界」を感じてまうのか?

本気で考えると詰む。

なぜなら、

  • ワクチンは動物実験を経ている
  • 革製品を持っている
  • 過去に肉を食べてきた
  • 家族が医療の恩恵を受けている

完全に拒否するなら、
社会から部分的に離脱せなあかん。

だから心がブレーキをかける。

これは罪悪感と自己防衛の衝突や。


逆転の問い:「利用」は本当に悪か?

自然界を見ると、

  • ライオンはシマウマを食う
  • 寄生虫は宿主を利用する
  • 植物は光を奪い合う

利用そのものは自然の構造や。

では何が問題なのか?

規模と効率。

工場畜産は
「苦痛の効率化」をしている。

倫理問題の核心は、

利用ではなく、苦痛の工業化

ここにある可能性が高い。

ヒマタロウ
ヒマタロウ

実際現場をみた人ならわかる思うけど、ほんまにエグい光景や。


もう一つの違和感:人間も家畜化されてへんか?

資本主義の中で、

  • 効率で評価され
  • 使い捨てられ
  • 消費の部品になる

これ、ある意味で人間も「利用」されている構造…

ヒマタロウ
ヒマタロウ

ワイや!ワイも豚みたいなもんや。

だから豚の映像を見るとゾッとするんや。

そこに自分の影を見るからや。

「豚にだけはなりとうない」

それは動物軽視やなく、

利用される側への恐怖かもしれん。

動物倫理は、
人間社会の構造批判でもあるかもしれんで。

ヒマタロウ
ヒマタロウ

食われへん(殺されへん)だけマシなんか…
数十年ずっと家畜でいるのがエエんか…


技術は倫理を変えるんか?

培養肉
人工皮革
AIによる実験代替

もし動物利用なしで同等の成果が出るなら?

倫理は一気に変わるで。

歴史みてもそうや。

奴隷制が終わったのは
道徳だけやなく産業構造の変化もあったからや。

動物解放も、
技術進化がカギになる可能性は高い。

ヒマタロウ
ヒマタロウ

じゃあそんときは、豚や牛はどうなるんか?
って問題もあるけどな。


ここからが本題:葛藤と罪悪感

動物倫理を考えた人が必ずぶつかる壁。

それは、

「自分は加害側や」という感覚。

でもここで重要なんは、

罪悪感は「善性の証拠」やということ。

何も感じない人より、
感じている人のほうが倫理のスタート地点におる。


罪悪感はどうすれば薄れるんや?

消すのではなく、扱い方を変える。

① 全か無かをやめる

100%か0%で考えると詰む。
5%減らすでも意味がある。

② 行動で中和する

  • 量を減らす
  • 選択肢を変える
  • 情報を学ぶ

罪悪感は「未処理のエネルギー」。
行動に変えると軽くなる。

③ 完璧主義を捨てる

今の社会構造で完全に無関与はほぼ不可能。

だから

「矛盾を抱えたまま生きる」

これを受け入れる。

④ 共感を自分にも向ける

あなたもまた、この構造の中で生きる一匹の動物や。

自分を責めすぎるのもまた暴力や。


結論:揺れ続けることが倫理

極端に振り切る必要はない。

  • 苦痛を減らす方向に動く
  • 技術を支持する
  • 問いを忘れない

「無理や」と感じるのは、
真剣に考えた証拠。

倫理は答えを出すことより、

問い続けることに価値がある思うんや。


「偽善者」と言われる覚悟について

こういうことを書くと、たぶん言われる。

「偽善者野郎が…」

たしかにその通りかもしれん。

まぁそうかもしれん。
豚に同情しても、一方で豚丼とかめちゃめちゃ食うしな。

矛盾している。

否定はできへん。

でもな、
矛盾しているからこそ、考える価値があるとも思う。

完璧にできないから黙る、
それは一番ラクや。

けど、ラクな態度は思考を止める。


家畜という言葉に映るもの

正直に言うと、
ワイの中にはずっとあるイメージがあるんや。

家畜=社会の底辺。

管理され、
選ばれず、
効率で測られ、
生かされる存在。

動物は人間社会の中で、
圧倒的に弱い立場に置かれている。

どれだけペットが愛されていようが、
構造としては最下層に近い。

そして、ふと考える。

ワイはどうや?

モノやサービスは溢れている世の中やのに、金もなく、自由もなく、行動は制限され、
評価で値踏みされ、
使えなければ切られる。

それって、どこまで違う?

もちろん同じではない。
でも、まったく無関係とも思えん。


同情している余裕なんかない

ポンコツ中年のワイが、
何を偉そうに豚の心配をするんや。

自分も社会の中では
たいして強い側ちゃう。

むしろ底のほうでバタついてる一匹や。

だからこそ思う。

「同情」やなくて、
「構造を見ること」は必要やと。


問題は答えじゃなく、問い続けること

ワイはたぶん、すぐにヴィーガンにはならん。

今日も肉を食う。

けど、

・なぜ食っているのか
・その裏で何が起きているのか
・自分はどの立場にいるのか

これを考え続けることはできる。

完璧じゃなくてもエエ。

揺れていい。

偽善と言われてもエエ。

思考を止めるより、
揺れながら考え続けるほうがまだマシや。


最後に

動物倫理を突き詰めると、

「人間とは何か?」に行き着く。

利用する存在でありながら、
共感できる存在でもある。

その矛盾の中で揺れる。

でもその揺れこそが、
人間らしさや。


動物が最底辺の存在だと感じる社会は、
もしかすると、人間もいつかそこに近づく社会かもしれない。

だからこの問題は、
豚の問題であり、
同時に自分の問題でもある。

ワイは立派な思想家でもない。

ただのポンコツ中年や。

でも、

問いを持ち続けることくらいはできる。

倫理はそういう積み重ねからしか生まれへんのちゃうかとおもうとる。

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