毎日、同じ時間に起きて
同じ道歩いて
同じコンビニ寄って
同じ顔ぶれを横目で見て
同じような一日が終わる。
変わらへん景色。
昨日と今日の違いが、
「天気」と「腰の調子」くらいしかない。

そんな生活の中で、
ふと思い出すのが――
昭和のエロ本や。
昭和のエロ本って、何が良かったんやろ
ちなみに昭和のエロ本ゆうてもリアルタイムの世代ではない。
昭和50年代中頃~平成手前くらいのやつやな。
古本屋とかで買うたり、自販機でこっそり買うてたんを思い出す。
昭和のエロ本は今のもんとはかなり違う。

妄想前提:ぼやけた写真+文章で想像させる
情報少なめ:体型もシチュも限定的
背徳感強め:隠れて読む文化
“エロ=特別な娯楽”
更にいうと
- ページ数は有限
- 画質は荒い
- モデルも今ほど洗練されてへん
- シチュエーションもワンパターン
とにかく、
何回も何回も見た(あー恥ずかし)。
もう内容ほぼ覚えとるのに、
また開いてまう。
これ、よう考えたら
毎日変わらん生活と一緒や。

今のエロ本
直球・高解像度:ネット基準の過激さ
ジャンル細分化:好み別に最適化
手軽・即消費:特別感は薄い
“エロ=日常の一コンテンツ”
刺激が強すぎるんや。想像する余地がない。
「想像」がいかに大事か、エロコンテンツ大好き人間であれば理解できるはず。
今のエロ本やと「全部」見せられるんや。
心が参加する前に終わってまう。
昭和のと今のを、一言でまとめるとこんなかんじやな
昭和は「想像で抜く」
今は「供給過多で流す」
■ 「刺激」やなくて「安心」を見とった
昭和のエロ本って、
別に毎回ドキドキしたくて見てたわけちゃう。
あれはな、
「いつものやつが、ちゃんとそこにある」
確認作業や。
・このページにこの写真
・この角度
・この展開
・娘っ子のこの表情・この感じ・この…
全部わかってる。
でも、それがええんや。
毎日変わらん景色も同じや。
刺激はないけど、
崩れへん。
※もちろん変化も必要。まぁそれはまた別の話やな。

■ 変わらん景色=退屈、やない
今の時代やと
「成長せな」
「変化せな」
「アップデートせな」
って言われがちやけど、
正直な話、
毎日変わらん景色ってけっこう贅沢や。
戦争もない
爆撃もない
突然追い出されることもない
今日も同じ道歩ける
昭和のエロ本もそうや。
派手さはないけど、
安心して開ける。

■ なぜ今、昭和のエロ本が沁みるんか
若い頃は
「もっと刺激を!」
「もっとすごいやつを!」
やった。
でも中年になってくると、
- 新しい刺激はしんどい
- 情報多すぎる
- 比較される
- 疲れる
そこで戻ってくるんや。
変わらへんもんに。
昭和のエロ本
毎日の同じ景色
決まったルーティン
起床時のチワワとの戯れ
同じyoutubeチャンネル
同じ時間帯の散歩 etc…
全部、
「これ以上失望せえへん」
って保証がついとる。
■ ポンコツ観察的結論
毎日変わらない景色と
昭和のエロ本の共通点はこれや👇
人生に裏切られへん設計
期待させすぎへん。
夢を煽らへん。
現実を誇張せえへん。
ただ、
「今日もこれでええやろ」
って言うてくれる。
オチ
最近のエロ本・エロ動画より、
たまに思い出す昭和のエロ本の方が、
人生の真理ついとるんちゃうかと思う。
変わらん景色を見て
「今日も同じやなぁ」
って思えるうちは、
ポンコツなワイもまだ余力あるんやと思える気がするわ

おまけのサービスシーン









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