はじめに
最近やたらと
「弱い者いじめはダメ」
という言葉を聞くようになった。
それ自体は正しい。
異論はあらへん。
ところが最近は、そこに一文付け足されるんや。
「強い者いじめもダメだよね」
なるほど。
誰も傷つかない社会。
実に美しい。
……本当にそうやろうか。

そもそも「弱者いじめ」と「強者攻撃」は同じなんやろか?
ここで一度、言葉を分解してみたい。
「弱い者いじめ」とは何か。
- 逃げ場がない
- 反撃手段がない
- 継続的
- 権力差がある
要するに「詰み」の状態。
一方で、強者への攻撃はどうか。
- 権力を持っている
- 立場がある
- 発言力がある
- 守ってくれる大人や制度がある
上下関係が、そもそも逆。
これを同じ「いじめ」という袋に入れるのは、
雑すぎる分類やと思う。
わいも、昔ちょっといじめられた
ここで私事を少し。
昔、いじめられたことがある。
ガチの地獄というほどではない。
ただ、ちゃんと嫌なやつやな。
で、どうなったか。
そのときいじめてきた「強者側」は、
後で大人にしっかり絞られた。
怒鳴られ、呼び出され、
空気が一変した。
その瞬間、はっきり分かった。
「あ、こいつ強者ちゃうわ」
「強者“っぽく振る舞えてただけ”や」
強者は、実はめちゃくちゃ弱い
面白いことに、本物の強者ほど大概、
- 批判される
- 注目される
- 攻撃される
立場にある。
だからこそ、
社会は強者を叩ける。
これは復讐でも、私刑でもない。
権力の暴走を抑える調整弁や。
「誰も攻撃しない社会」が生むもの
もし仮に、
- 弱者を攻撃するな
- 強者も攻撃するな
が徹底されたら、どうなるか。
表向きはこうなる。
- みんな優しい
- 誰も傷つかない
- クリーンで安全
でも裏側ではこうや。
- 弱者は不満を言えない
- 強者は批判されない
- 権力は静かに固定される
文句は言えない。
笑顔で我慢しろ。
「空気を乱すな」。
結果、弱者は誰に文句を言うのか。
答えは簡単。
自分自身。
一番この世界を喜ぶのは誰か
ここで、あえて皮肉を言う。
「いじめが完全撲滅された社会」は
強者にとって最高の世界や。
- 批判されない
- 攻撃されない
- しかも「正義」に守られる
こんなに住み心地のいい場所はない。
強者いじめ反論側が一番恐れているもの
「強者への攻撃もダメ!」という側の本音をもう一段掘ると、
だいたいここに行き着く。
- 行き過ぎた叩き
- 誤情報
- 取り返しのつかない炎上
- 「後で違いました」が通用しない世界
つまり彼らは、
強者を守りたいというより、
社会の暴走を恐れている。
これは悪意やない。
むしろ、
「秩序」を守ろうとしている。
オチ:本当に怖いのは、怒鳴られない世界
昔、いじめた側が
大人にしぼられていた光景を思い出す。
あれは暴力やない。
社会がちゃんと機能していた証拠や。
誰も何も言わなくなった社会は、
優しいようで、実は一番冷たい。
怒られない世界は、
守られている世界やない。
ただ、誰も責任を取らない世界や。
追伸
「誰も傷つかない社会」を目指す前に、
「誰が、どの立場で、何を言っているか」
それを見分ける目の方が、
よほど大事なんやないかと思う。
優しさは、
だいたい強者の後ろ盾があるときだけ、美しく見える…









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