平凡人から見た「平等」の歴史(江戸 → 令和 → ちょい先の未来)

暇やから、「平等」の歴史について調べてみた。
正直ようわからんかった。
わいなりの結論いうと、
平等は「あったことない」し、
今も「完成形」は存在してへん。
ただし――
「何が不平等か」だけは、時代ごとに変わってきた。
そんなかんじやろか
■ 江戸時代:
平等?なにそれ、食えるん?の時代
江戸はな、分かりやすかった。
- 武士
- 百姓
- 町人
- 穢多・非人
はい、もう終了。
生まれた瞬間でほぼ人生決定。
ワイみたいなんが百姓に生まれたら
「一生、田んぼ → 年貢 → 老衰」
以上。

でもな、不思議な話で
平凡人にとっては、
「夢はないけど絶望も限定的」やった。
・身分は上がらん
・でも下にも落ちにくい
・競争ほぼなし
今みたいに
「能力ないのに、能力主義の土俵に立たされる」
なんて地獄はまだない。
江戸の不平等は露骨やけど静かやった。

■ 明治〜昭和:
「努力すれば報われる」って物語が生まれた時代
明治で身分制度が壊れる。
ここで初めて出てくる魔法の言葉👇
「努力」
・学校行け
・働け
・国の役に立て
平凡な人間にも
「もしかしたら上いけるかも?」
という希望という名のガチャが配られた。
ただし注意書きあり👇
※当たりはごくごく一部です
戦前・戦中は
平等どころか「全員しんどい」
ある意味、横並び地獄。

■ 高度経済成長〜平成前半:
レールに乗れたら勝ち確ボーナスタイム
ここが一番、
平凡人に優しかった時代。
- 学校
- 就職
- 結婚
- 家
- 定年
能力そこそこ、根性そこそこでも
「普通」が成立した
平等というより
「みんな同じ方向に押されてた」感じやな。
「一億総中流」なんちゅういまではありえへんワードも存在してた。
「頑張ってるフリ」だけでも生き延びられた。
この時代に作られた価値観が
今も呪いみたいに残っとる。

■ 平成後半〜令和:
自己責任型・見える不平等社会
ここからがキツい。
・能力・職業
・見た目
・発信力(SNSとかの数字)
・家庭環境
・いままでの履歴・経歴
全部可視化。
今の世の中、SNSひとつとっても
「あ、ワイ底辺側や」
って毎日確認できる親切設計になっとる。
昔は不平等でも
「知らんで済んだ」
今は
「毎日突きつけられる」
上の人
→ 才能・努力・正しさ
下の人
→ 甘え・無能・怠慢
ストーリーの後付けがエグい。
ワイみたいな
「別に悪いことしてないけど、うまくもいってない人間」
の居場所が薄い。

■ ちょい先の未来(予想):
平等は建前、最適化が正義
これからはな、
・AIが能力を測る
・数値で振り分け
・向いてない人は静かに排除
江戸より優しい顔して
江戸より冷たい。
「あなたは努力不足です」
じゃなくて
「あなたには向いていません」
って、
優しい言葉で夢を奪う時代。
自分の立ち位置を静かに突きつけられる地獄
救済は最低限。
生きるだけならOK。
上を見るな。夢見るな。
って空気。

■ 結論(ワイら平凡人視点)
- 江戸:不平等やけど諦めやすい
- 昭和:レール乗れたら天国
- 令和:可能性だけ見せて突き落とす
- 未来:静かに分類される
今が一番しんどいのは
「希望を与えられてから奪われる」構造やからや。

■ それでも残っとるもん
日本(ワイ)にはまだ
- ナマポ
- 医療
- 治安
- 風呂
- チワワと遊ぶ時間
がある。
これ、世界的に見たら
かなりチート装備や。
最後に一言
平等は
「同じスタート」でも
「同じゴール」でもない。
「こけても死なへん」
それくらいでええんちゃうやろか。
ほなワイは
風呂入って
チワワ撫でて
ネットで鼻くそ動画見て寝るわ。
それが
レール外れた平凡人の
静かな勝利条件や。









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