未来に向かって、そういう傾向がバッチリあらわれはじめてるな…
──そんな世界で、いつか暴動は起きるんやろか?
最近つくづく思う。
この世界、「出来のいい人向け」に最適化されすぎてやせぇへんか?と。
金があって、頭も良くて、顔もそこそこ良くて、
努力も継続できて、人から好かれて、
「いや君、人生イージーモード選択してるやん」
みたいな人たちがいる。
そして反対側には、
金はない、才能もイマイチ、顔面はおもろすぎて、
努力しても常に三日坊主、孤独がデフォ、
「ハードモードが過ぎる。昔のシューティングゲームみたく、クリア不可能やん」
みたいな人たちがいる。

ワイや!
幸せな人は、より幸せに。
不幸せな人は、より不幸せに。
このゲーム、残酷やすぎんか?

成功者は“成功しやすい性格”をしている
成功者はよくこう言う。
「努力すれば誰でもできる」
それ、
努力が苦じゃない人間の感想や。
- 行動すると脳内でドーパミン出ます
- 失敗しても自己肯定感が減りません
- 褒められるとさらに伸びます
- 努力を努力と思ってない

富・能力・外見・人脈・承認
👉 全部が相互強化ループ
人生、常に確変モード入ってる状態の人がおる
👉 行動 → 成果 → 自信 → 次のチャンス → 行動・・・
このループが異常に回っとる状態。
そら伸びるわ。
一方、伸びにくい側はというと、
👉行動 → 失敗 → 自信喪失 → さらに不利 → 次のチャンス?はぁ?
- 行動すると不安が増えます
- 失敗すると人格否定されます(脳内で)
- 褒められても信じられません
- 努力が続くのは奇跡に近い

同じ「努力」でも、
消費カロリーが違いすぎる。
なのに世界は言う。
「努力は平等です」
草。
データの可視化で“格差が確定表示”される世界になりつつある。
神はん、あんたエグいで…
不幸な人は「怒らない」ように訓練されている
ここが一番の闇。
昔なら、
貧しければ怒った。
理不尽なら暴れた。
今はどうか。
👉 怒りは外に向かわず、全部自分に刺さる
「努力できない自分が悪い」
「魅力のない自分が悪い」
「続かない自分が悪い」
おかしいやろ。
世界がハードモードに設定されてるのに、
プレイヤーが悪いことになっとる。

今は、怒った瞬間に「負け」になる
現代で怒るとどうなるか。
① まず人格攻撃が飛んでくる
- 「被害者意識もつな。お前が悪いんやろ」
- 「他責思考すな」
- 「努力不足や」
- 「甘えんな」
👉 内容じゃなく、態度が裁かれる
「何に怒ってるか」より
「怒ってる時点でダメな人」扱い。

② 成功者の“善意”が追い打ちをかける
よくあるやつ👇
「自分も大変だったけど、乗り越えたよ」
「考え方を変えれば世界は変わる」
これ、悪意はない。
でも結果として👇
👉 構造の問題が、個人の心構えに変換される
怒りを外に出す前に、
「考え方が悪い自分」を修正しろ、となる。
③ SNSが「怒り=恥」にした
怒ってる人間はこう扱われる。
- 痛い人
- 空気読めない人
- 余裕ない人
- 近寄りたくない人
逆に評価されるのは👇
- 皮肉で流す人
- 自虐で笑いに変える人
- 「まあ仕方ないよね」って言える人
👉 怒らない=大人=賢い
👉 怒る=未熟=負け
この刷り込み、相当強い。
その結果、怒りはどこへ行くか
外に出せない感情は、
必ず別の形に変換される。
① 自己否定になる
- 自分が悪い
- 自分に価値がない
- 自分は社会不適合
👉 一番安全で、一番破壊的。
② 無気力になる
- どうせ変わらない
- 期待しない
- 関わらない
👉 静かな離脱
これ、暴動より社会ダメージでかい。
③ たまに変な形で噴き出す
- 無差別事件
- 炎上への過剰加担
- 極端思想への傾倒
👉 抑圧された怒りは、
必ずどこかで歪む。
だから暴動は起きない
「こんな格差社会、暴動起きへんの?」
って思うやろ。
起きにくい理由はシンプル。
① 娯楽が多すぎる
SNS
ゲーム
サブカル
推し活
無料娯楽
👉 怒りが拡散・希釈される。
同じ怒りを、同じ方向に向けにくい。
② 敵が見えない
王様も独裁者もいない。
いるのは「空気」と「アルゴリズム」。
殴りに行く相手がおらん。
③ 自己責任が内面化されすぎ
これが一番ヤバい。
努力できない自分が悪い
魅力ない自分が悪い
継続できない自分が悪い
怒る前に自分を責めるんや。
暴れる前に寝込む。
結果👇
暴動じゃなく、自壊してフェードアウト。

起きているのは「静かな反乱」
実際に起きているのはこれ。
- 恋愛しない
- 結婚しない
- 子ども作らない
- 消費しない
- 社会に期待しない
声を上げず、
拳も振り上げず、
「参加しない」という抵抗
これ、めちゃくちゃ強い抵抗や。

ほんまキツイ。

本当にヤバいのは「意味」が消える瞬間
人は不幸でも耐えられる。
- 自分には役割がある
- これは物語の途中だ
- いつか報われるかもしれない
このどれかがあれば。
でも今はちゃう。
- 数字で序列が見える
- 才能も顔も資本
- 「報われない可能性」が可視化されている
この状態で
意味まで失ったらどうなるか。
暴動?
いや、もっと嫌な形で壊れる。
この問いの本質…
今回のテーマの本質について、
それは「不平等」やなくて👇
不幸な側が“意味”を持てなくなった世界は、
どこまで耐えられるのか?
ここやと思う。
人は
- 貧乏でも
- 不器用でも
👉 「役割」か「物語」があれば耐えられる思う。
それが完全に消えたとき、
そのとき初めて、
本当の意味で社会は荒れるんちゃうやろか…
正直言うと、近い将来
「暴動起きるか?」より
「起きない方が、むしろ怖い」という所まで行きつくんちゃうかおもとる。
暴動が起きない世界は、健全なのか?
幸せな人は、
「努力すればいい社会」やと思っとる。
不幸な人は、
「努力しても報われにくい社会」やと知っとる。
この認識のズレが埋まらん限り、
世界は静かに、でも確実に歪んでいく。
暴動が起きないのは、
平和やからやない。
みんな、疲れ切ってるだけや。







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